らじうむの月

生んでみせる


フィクションです。


(なぜなら、事実は美しくないから。)




その人の手は美しかった、ものすごく。指はスラリと長くて、爪は平たくて角を丸くした正方形で、何処をみてもほころびがなくて、隅々までつるりとした、理想的なかたちをしていた。


わたしの指は、深爪で、水仕事でいつもぼろぼろで、いびつな形の爪をしていて、ペンの持ち方が変だからいつもタコができてしまうし、指の長さと手のひらのバランスが悪くて、いつも申し訳なさそうに縮こまっている。



その人は手だけではなくて、すべてがととのっていた。そこがわたしと正反対だった。乱雑でまとまりがなく、とっ散らかっているわたしと、すべてが決まったところに収納されていて、そしてそこに戻っていくその人は。

顔の造作が、というわけではなく、丁寧につくられ、丁寧に育てられたのだろうとわかるかたち。目、髪の毛、言葉、姿勢、箸の持ち方、頬杖のつきかた、まつげ、肩甲骨。



肩甲骨は天使の羽の名残だって言ったのは誰だったか。夏、わたしはその人のTシャツから浮き出る肩甲骨を目で撫で続けて、それだけがわたしの夏だった。夏はもう終わりだ。



わたしのような一凡人の目の前に、突然おなじ一凡人のかたちをした天使が現れたなら、わたしは絶対に信じないし、疑ってひどいことをしてしまうだろうし、それにね、その人は断じて天使なんかじゃない

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遅れない夏休みの宿題


9月に入った。
夏休みの宿題を計画的に終わらせたことのない人生の夏休みの宿題代わりじゃないけど、「新ではない」発見

夏の夜、クーラーのタイマーが切れて、足で布団を蹴飛ばして、暑くて寝苦しくて目が覚めて、枕元のスマホを適当にシャッフルして流れたキリンジ、真っ暗な部屋の底でスマホの灯だけがついてるとき、とても最高。


相対性理論、曲もそうだけど言葉のセンスがすごい、スケール感がやばい、時空間ひとっ飛びの歌詞、なんだこれ。


大森靖子さんの曲、いつでもどれかがわたしを肯定してくれる、肯定しながら否定したりする、言葉のスピード感、彼女は消費されてくたくさんの泡沫の言葉を全部拾って歌う人、いつだって最新が最上だって信じたいときも、最新に疲れたときも寄り添ってくれる。最強じゃん。


キッコーマンの豆乳飲料の紅茶味めっっっちゃくちゃ美味しい、これをゼラチンでプリンみたいにすると、はちゃめちゃスーパー美味しいアゲイン。


たくさん送られてきた梨をコンポートにすると素晴らしい。そのまま食べても、ヨーグルトかけても、贅沢にヴァニラアイスとキメても良い。なななんと、副産物のシロップを炭酸水で割ると天にも昇る心地。


アイラインが左右ともにうまくひけるとちょっとその日1日気分がいい。


夜更かしすると、寝坊する。




生きているのではなく、死んでないだけ。


病気みたいなもので、常に生きることと死ぬことを考えている、これが本当はわたしの終わらない夏休みの宿題。

「生きていること」と「死んでいること」の境界線はどこにあるのだろう、わたしにとって、ずっと会わずに、これから先もなんのヒントもないままの人たちと、死んでいった人たちの何が違うのだろう。

そういうときのわたしは、計算が合わないことがわかりきっているのに何度も何度も計算し直し続けて、何度も何度も同じ合わない数字を前に途方に暮れる、いつのものなのか、何の数字かもわかっているけれど取り戻せない不足分を探すふりをし続ければ、いつか取り戻せると思いたいからだ。


夏はたくさん、今まで会えなかった人に会えた。


1年以上前に絶縁する!会わない!メールも返しません!といって、時々くる長文メールも無視していた相手と半年前に会ってしまい、なんとなく夏も会った。

楽しい時間を過ごせるとは思っていなかった人と楽しく過ごすことができて、人は生きてる限り以前の自分を撤回できるのだと知った。

なんの消息も知らなかった友達と偶然会った。

お互いのたくさんの知らない時間を1度に埋めたら、何度も水面下でわたしたちの道は近いところを通っていたのだと知った。知らないことは断絶ではなく、ただ見えていないだけのたくさんの糸。わたしたちは死んでないだけ、死んでないだけでいくらでも生きている。



死んでない人と死んだ人、「死んでない」ことと「死んだ」ことは全然違う、全然違った。

当たり前のこと。

考えることでわたしが取り戻したいものは永遠に戻ってこない、それでも考え続けるのが何故なのかはわからない、とにかく、わたしの周りの「生きている」人たちとわたしは、まだ「死んでない」という発見だけがあった。

(贖罪ではない、何故ならわたしに罪があるとして、わたしの罪を認めることのできる人はもう「生きてない」し、わたしはなんの裁きも受けられなかったから。)


秋冬は1番好きな季節だから、はやくあったかくしたい、はやくはやくこないかなって楽しみにしてる今がとても心地いい。



綻びは小さいうちにと言うけれど


さようなら!古い生活!さようなら!

こんにちは!新しい生活!新しい人生!





な〜〜〜〜んてことにうまくなるわけがね〜〜〜〜〜〜だろ!!!!!!!!!





●生活の綻びについて


生活が完全に綻んだ、綻び倒した。


まずはじめにカバンが壊れた。縫い目の糸がどんどん切れていって、ついにもうダメになってしまった。糸の綻びが小さいうちにと縫うなりなんなりしておけばこんなことにはならなかっただろうに。そう、まさに綻びは小さいうちに。


というけれどそんなことが出来ていれば人生何にも苦労していない。


わたしの人生、牛乳パックを捨てようとして、洗って乾かして開く時に、途中まではきちんとハサミを使っていたのに急にハサミが嫌になって手でちぎってしまって失敗して怒られる、なぜ、なぜかはわたしが知りたい。


いまわたしはちまちまと糸を出して針に通して、手でひたすらと生活を縫い始めている。綻びが小さいところから始まってどんどんと広がっていくように、綻び倒してしまったものは一気に戻すことなんてできない。


指に針を刺してしまったり縫い目が雑になってしまったり、出すところ間違えたり玉留めに失敗したりしてるけど、わたしは元気です。わたし、魔女のキキだから。こっちは黒猫の虚無。


魔法なんてない、魔法のようなエブリシングはぜ〜〜んぶ嘘ぴょ〜〜んです。嘘ぴょ〜〜んを魔法のようなサムシングにするためにみんな頑張っているんです、オズの魔法使いもビックリだわ。


ときどきわたし以外の人間がみんなすげえ魔法使いに思えてしまう、思えてしまうのが良くないってことを、わたしは良くわかってる。だからまだ大丈夫なはず。


明日もがんばって縫います。















せつなてきなおしゃべりver.2.0

わたしは刹那的なおしゃべりが結構好きで、かつ、刹那的なおしゃべりに巻き込まれがち。という話。



刹那的なおしゃべりというのは、もう二度と会うこともないような、これから関係性を発展させていく必要のない人とのその場だけの泡沫の会話、たとえば電車でたまたま隣になっただけの人との、旅先で出会った人との。
 


昔南仏に住んでいる知り合いのところに2週間あまりお世話になったことがあって、ちょっと生活に慣れて来たある日、その人の家から30分くらいの観光地でもある旧市街まで車を出してもらった。仕事に行くその人を見送った後、わたしはぶらぶらと花の市場を見て回ったり、サイクリングをしたりと1人で行動していた。ひと通り回った後に、地元の人らしき人たちが次々と買っていくアイスクリーム屋があったのでそれを購入して海沿いに出て、のんびりとわたしのような観光客や、そんな観光客のリクエストに気前よくこたえるトランペット吹きのおじさんをみていたら1人の女性に話しかけられた。

日本人ですか?と聞かれ、そうです、フランス語は話せないけど、と答えると、わたしは少し日本語が話せます、と返ってくる。夫の転勤で東京に5年ほどいて去年返って来たばかりです、そうですか、わたしは生まれも育ちも東京ですから、どこかで会っていたかもしれませんねということを話した。東京はそろそろ桜が綺麗な時期でしょうか、桜を見るのは本当に素敵な体験でした、というので、わたしはここに来た初日、車の窓から見たアーモンドの木についた花を桜かと思ってしまったという話をした。ボナールの美術館にアーモンドの花のいい絵があるはずです、というので必ず行って見ますといって別れた。後日ボナールの美術館に行くとたしかにアーモンドの花の絵が飾ってあった。




待合室、という類の場所でもなぜか人に声をかけられる。

眼科、そのときのわたし、女子高生17歳はコンタクトの処方箋を作るために、ショッピングモールの最上階(かつ、賑わっている西館ではないほう、東館の最上階)の眼科に赴き、午後のワイドショーが流れる待合室で順番を待っていた。広くはないその待合室で、重たい通学かばんを長椅子に下ろすと思いがけず大きな音が出てしまった。人3人分くらい隣におばあさん、70代くらいだろうかという女性がいたので、すみません、と一応声に出した。すみませんとかありがとうございますとか声に出すとピンと張りつめていたものが切れて、刹那的なおしゃべりの糸口になることはおおいにある、この時もそうだった。

学生さん?と聞かれたので嘘をつく理由もない、そうです。診察?はい、視力が悪くて、コンタクトレンズつけてるので、定期検診に。えらいわね、ちゃんと来て。いやあ、あんまり病院が好きではないので、サボりがちですけど、でも定期検診をうけないと作れないので、コンタクトは。そう、わたしもね、最近目の調子が悪くって、診てもらいにきたの。そうですか。 あのね、やっぱり悪いところがありませんでしたって言われると、ほっとするものでしょう。はあ。(この、はあ。は便利な言葉で、何かを話し始めた人の緩やかな流れを断ち切ることなく、なるほど、続けてください というニュアンスを出すことができる)
わたしもねえ、昔はそうだったのよねえ、病院なんてあんまり好きではなくて、できることなら行きたくなかったし。はあ。でもねえ、不思議なことにいつからか悪いところがありますって言われたくてくるようになってしまうのよ。はあ。年寄りがねえ、病院ばかり行くのはそうなのよきっと、悪くありませんと言われるよりね、悪いところがあるって言われた方が安心なのね。はあ。それはね、…というところで彼女が診察に呼ばれて、わたしたちは微笑みあって会釈して別れた。わたしの診察が終わる頃には彼女は帰っていたが、はたして安心して帰ることができたのかはわからない。


昔話、あるいは跡形もなく消えて欲しい地元

みなさんは兄弟の部屋の方角に向かって「呪」の文字をひたすら空で切ったことがありますか。わたしは当然あるのでこんなことを書いているわけですが。


訳あって小学五年生のときわたしはどんなこどもだったかしら、ということを考えていたらなかったことにされていたあれやこれやが思い出されてしまったので、供養のために書きます。



わたしの小学生生活後半は暗黒期で、中学1年生の頃も含めてわたしの記憶の中から普段はなかったことにされています。暗黒期と化した原因のほとんどは兄にありました。

兄はわたしの3歳上で、わたしが小学校4年生になった年に中学校に上がり、見事にグレました。兄にも色々あったのでしょうが、わたしには何も関係のないことなので割愛し、とりあえずお手本のようにグレました。この兄の部屋の方角に向かって「呪」と切り続けていたのがわたしの暗黒期、というわけです。




兄は染髪ピアス飲酒喫煙窓割り夜遊び補導呼び出し鬼ハン…(鬼ハンってわかりますか?自転車のハンドルをバイクみたいに捻じ曲げてサドルを低くして乗る行為、ところでかのアリストテレスは鬼ハンを「この世で最もダサい行為」と言っています)と、ありとあらゆるグレミッションをコンプリートしていきました。

兄がグレればグレるほど、わたしは肩身の狭い思いをしました。

地元というのは東京だろうが地方だろうがほんっと〜〜〜〜に狭い世界、同級生の兄同士が同い年だとか、スポーツのクラブチームの繋がりだとか。兄のことを知っている人も多ければ、兄とわたしが兄弟であることなんてほとんどの人がわかる状況でこんなことになればわたしがどう見られるかなんて考えるまでもないことなのです。



中でも最も「呪」感の強いエピソードとしてわたしがよく笑い話にしているのが、友達と放課後に公園で遊んでいた時の話で、話といってもふつうに遊んでいたら砂場で缶チューハイを飲んでいた(!)地元の女子中学生2人(!?)に絡まれ、「え、○○の妹じゃん。ウケる」「えー写真撮らせてよお、ウケるー」と恐喝されて写真を撮られたというだけなのですが。

今になれば女子中学生なんてガキもガキ(何にもウケねえしな)だわ〜〜と受け流せても、当時は死ぬほど怖い年上のお姉さんだったわけで。
(ちなみにその2人は蟻の行列に缶チューハイをかけて「虫ってアルコールかけると死ぬらしいよ」「ギャハハ〜」と遊んでいて当時は涙が出るほど怖かった。)



母は兄に手を焼き、わたしはあんまり手のかからない子として放置され(そのぶん自由にできたこともたくさんありますが)わたしは地元の中学校にだけは進学したくないという強い気持ちで中学受験の勉強をしていました。志望校はこんな思いをしないところならマジで心底どこでもいいということで、受験情報誌の東京・女子校の項目を適当に開いて最初に目に入った学校に決め、わたしは同じ地域出身の子が1人もいない学校に一発合格で入学しました。



わたしにとって地元は唾棄すべき場所です、夕方から制服を着た女子中学生が公園で缶チューハイを飲んで夜は至る所でイキッた不良中学生がたまったりタバコを吸ったり爆竹で遊んだりしているロクでもないところで、犬も歩けばカツアゲされ、くだらない理由で理不尽なリンチが起きる。シン・ゴジラで地元が破壊された時は感動すらありました。アハハ〜ついにわたしの願いが届いたか〜。

今は違うけどこの頃は、誰かがすべて破壊してくれればいいのにと本気で思いながら兄の持っている鋼の錬金術師のカバーを外した裏表紙にひたすら呪詛を書いたこともありました。(これはちょっと自分でも引いてる)


兄は今は一応真面目に働いています、見た目はチンピラ同然ですが。わたしも大人になったので家族として和やかな対応をしますし、もう「呪」の文字を切ることもないです。

ただ、ごくたまーーにこの頃の自分が可哀想になって仕方がなく、一時期は大学受験のストレスもあって家族と普通に話していただけなのに昔のことを思い出して号泣しだしたりするといった生活に支障が出る事案が多々発生していたので今は忘れることにしています。おわり。

出会いはスローモーション、別れは進行形

一回描いたものが消えるととてつもない疲労感。



今日はバイト先でデコポンをもらった。以下むかしばなし



「鶏の皮のぷるぷるしてる部分を食べるとさあ、なんだか猟奇的な気分になるよね」とむかしある人は言った。曰く、「生き物をたべているという感覚が強くて、他の生物を好き勝手蹂躙している気持ちになるんだよなあ」


まさに今水炊きの鶏肉を2人で食べているというタイミングでそういうことを言い出すのは、よほどの変人か、変人ぶっていたい人か、縁を切ったほうがいい人か、彼がどれなのかは置いておくとして、とにかくわたしたちはそういうことが気兼ねなく言える友人関係であった。わたしも彼も特段箸を止めることもなく続ける。


「前にね、生の鶏肉を食べたことがあって」
「へえ、鶏肉って生で食べれるんだ。馬刺しみたいな?」
「僕がたべたのは、鶏の生肉がさ、ホタテくらいの厚さで、こう、お寿司みたいにしてあって。あれも、肉を食べてるって感覚がゾクゾクして良かったなあ。それに鶏肉って普段は生で食べないでしょ?背徳感もあって」


たしかにそう言った気持ちはわたしにも覚えはある、たとえばタコなんかを食べるときにあってネギを食べるときにはない感覚、生きて動いていた何かしらを、食べるということの生々しさ、気持ち悪さ、それゆえの恍惚。動物を痛めつけて楽しむ人間が問答無用でヤバいということ、そういうのはみんな知っていて共通認識のようになってはいるけど、踊り食いだって生きるためのタンパク質摂取の域を超えたエンターテイメント、一種のプレイなんじゃないか、生の鶏肉やタコを食べるときのゾクゾクを美味しさに計上するわたしたちも悪趣味?(食べること全般は一部の人間にとっては、ときたまエンターテイメントではあるけど)

彼の風貌は、彼を知る10人に「優しそうな熊ときった感じ」と言ったら9人は共感してくれる、たとえるならはちみつの大好きな黄色い熊のキャラクター、そんな彼から猟奇的な気分になるなんて言われても、生々しいリアルな恐ろしさは微塵も感じなかった。

ニコニコしながら天気の話でもするように始まった生の肉および生き物を蹂躙する恐ろしい人間の食事の話はいつのまにか終わって、すっかり別の話題に移り変わっても、わたしの頭のなかにはまだ猟奇的な気分が残されていた。箸を動かして、相槌を打って、ときどき彼を盗み見ながら、妄想する。あら、でも本当の熊は肉食獣でしょう、満月で凶暴になった彼が人間を食べてみる、それこそ踊り食いの要領で、逃げられない口の中でもがく生き物の感覚をじっくり味わいながら、噛み切って、骨と歯のぶつかる音、血!不快な音、ぷるぷるして弾力と噛み応えのある肉が彼によって咀嚼される音!


「あ、野菜足してもいい?」
「もちろん」


それとも、家ではこんな風に、彼と彼に似た両親との家族団欒の中で「あ、お醤油とって」「やっぱりステーキには醤油よね」「若い男の肉は久しぶりだけど、やっぱりうまいなあ」「なかなか食べられないから美味しいっていうのもあるよね」「あ、そういえば明日は友達と食べてくるからいらないや」「あまり遅くならないようにな」といった会話をして、そして何語もなかったかのようにわたしと水炊きを食べているのかもしれない。

知っているつもりで知らない他人のことなど数え切れないほどあって、気安くなればなるほど擦り合わせることもしなくなるのかもしれない、わたしがそんなバカな妄想をしているとだなんて彼は思っても見ないだろうし、わたしだって彼に対してなんでも見せてみているわけではない、労力を最低限にしても関係が悪くならないのが友人関係のいいところだし、それは彼も同じで、肉の話はあくまでも楽な友人関係に少しだけ緊張を走らせるためのお遊び、当たり障りのないところから少し逸脱してみるという暗黙の遊び。

彼がわたしの手を食んで思いっきり引きちぎってわたしが悲鳴と一瞬の恍惚を味わうところまで妄想が飛躍して、ついにあまりの馬鹿馬鹿しさに笑ってしまって、そういえば、このとき彼はどう反応したのか、そんなこともう覚えていない冬の話。

ただしい春

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あんまりうだうだしているのもよくないし、楽しかったお花見を振り返ります。


待ち合わせに30分も遅れたわたし、そもそも待ち合わせ時間を指定したのはわたしなわけだが、1年ぶりに会うのに遅刻した。1年ぶりだったけど、でも16の1年ほぼ毎日のように会って、ある意味では家族よりも濃い関係だったかもしれないともだちとだから、一瞬で女子高生に戻ったみたいだった。馬鹿みたいにきゃっきゃできてうれしい。


なにしよう、ごめん、なーにも考えてない、2人が見たい映画でも見る?でも、一年ぶりに会ってサイコホラーみるのはどうなんだろうね、きゃっきゃ、ということでとりあえず新宿駅の東口に出た、暖かい都会。


じゃあ、ハンバーガーとフルーツどっちが食べたい?という極端な質問をしてフルーツで意見が一致したのでベリーハッピーなフルーツパーラー、タカノのパフェを食べることにした。春だからやっぱりいちごだもんねー。一年ぶりだからなにから聞いていいものか、近況なんてたくさんあるもんね、でもパフェは美味しいし天気は良くてタカノフルーツパーラーの窓からは青空に浮かぶすしざんまいの広告が綺麗にみえた。心地よい共感と驚きと懐かしさと甘酸っぱいいちごとよくわからないけどすべてがおいしい(おいしーい!)


そのあと映画館をぶらついて見たり、でもお天気だから散歩しようって散歩して、同じところをぐるぐる回っちゃって笑ったり絶対に何か買っちゃうから絶対寄らない!って言いながら紀伊国屋によったり、最終的には御苑をふらふらして、桜をたくさん見た。


この世にこんな幸せがあっていいのかな、観光客のおじさんたちが楽しそうに桜と自撮りしてる(かわいい)横で馬鹿みたいに自撮りした、かわいいじゃんわたしたち。小さい子供が笑いながら走り回っていて、小さい子供だから全然はやくなくて、お母さんの白いスニーカーが太陽に眩しくて、読書したり寝転がったりお弁当食べたり、シャボン玉を飛ばしたりして、いい夢の中で流れるいい音楽のような光景、これが正しい春なのかと思って、その日はずっと浮かれに浮かれていた。


久しぶりに会えてよかった、今度はわたしが会いに行かないとね、


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