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フィクションです。
(なぜなら、事実は美しくないから。)
その人の手は美しかった、ものすごく。指はスラリと長くて、爪は平たくて角を丸くした正方形で、何処をみてもほころびがなくて、隅々までつるりとした、理想的なかたちをしていた。
わたしの指は、深爪で、水仕事でいつもぼろぼろで、いびつな形の爪をしていて、ペンの持ち方が変だからいつもタコができてしまうし、指の長さと手のひらのバランスが悪くて、いつも申し訳なさそうに縮こまっている。
その人は手だけではなくて、すべてがととのっていた。そこがわたしと正反対だった。乱雑でまとまりがなく、とっ散らかっているわたしと、すべてが決まったところに収納されていて、そしてそこに戻っていくその人は。
顔の造作が、というわけではなく、丁寧につくられ、丁寧に育てられたのだろうとわかるかたち。目、髪の毛、言葉、姿勢、箸の持ち方、頬杖のつきかた、まつげ、肩甲骨。
肩甲骨は天使の羽の名残だって言ったのは誰だったか。夏、わたしはその人のTシャツから浮き出る肩甲骨を目で撫で続けて、それだけがわたしの夏だった。夏はもう終わりだ。
わたしのような一凡人の目の前に、突然おなじ一凡人のかたちをした天使が現れたなら、わたしは絶対に信じないし、疑ってひどいことをしてしまうだろうし、それにね、その人は断じて天使なんかじゃない。
遅れない夏休みの宿題
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綻びは小さいうちにと言うけれど
さようなら!古い生活!さようなら!
こんにちは!新しい生活!新しい人生!
な〜〜〜〜んてことにうまくなるわけがね〜〜〜〜〜〜だろ!!!!!!!!!
●生活の綻びについて
生活が完全に綻んだ、綻び倒した。
まずはじめにカバンが壊れた。縫い目の糸がどんどん切れていって、ついにもうダメになってしまった。糸の綻びが小さいうちにと縫うなりなんなりしておけばこんなことにはならなかっただろうに。そう、まさに綻びは小さいうちに。
というけれどそんなことが出来ていれば人生何にも苦労していない。
わたしの人生、牛乳パックを捨てようとして、洗って乾かして開く時に、途中まではきちんとハサミを使っていたのに急にハサミが嫌になって手でちぎってしまって失敗して怒られる、なぜ、なぜかはわたしが知りたい。
いまわたしはちまちまと糸を出して針に通して、手でひたすらと生活を縫い始めている。綻びが小さいところから始まってどんどんと広がっていくように、綻び倒してしまったものは一気に戻すことなんてできない。
指に針を刺してしまったり縫い目が雑になってしまったり、出すところ間違えたり玉留めに失敗したりしてるけど、わたしは元気です。わたし、魔女のキキだから。こっちは黒猫の虚無。
魔法なんてない、魔法のようなエブリシングはぜ〜〜んぶ嘘ぴょ〜〜んです。嘘ぴょ〜〜んを魔法のようなサムシングにするためにみんな頑張っているんです、オズの魔法使いもビックリだわ。
ときどきわたし以外の人間がみんなすげえ魔法使いに思えてしまう、思えてしまうのが良くないってことを、わたしは良くわかってる。だからまだ大丈夫なはず。
明日もがんばって縫います。
せつなてきなおしゃべりver.2.0
わたしは刹那的なおしゃべりが結構好きで、かつ、刹那的なおしゃべりに巻き込まれがち。という話。
昔話、あるいは跡形もなく消えて欲しい地元
みなさんは兄弟の部屋の方角に向かって「呪」の文字をひたすら空で切ったことがありますか。わたしは当然あるのでこんなことを書いているわけですが。
出会いはスローモーション、別れは進行形
一回描いたものが消えるととてつもない疲労感。
書いていた文章が全部消えてしなしなになっている
— 澤近 (@hoyachka) 2018年4月4日
今日はバイト先でデコポンをもらった。以下むかしばなし
「鶏の皮のぷるぷるしてる部分を食べるとさあ、なんだか猟奇的な気分になるよね」とむかしある人は言った。曰く、「生き物をたべているという感覚が強くて、他の生物を好き勝手蹂躙している気持ちになるんだよなあ」
ただしい春
あんまりうだうだしているのもよくないし、楽しかったお花見を振り返ります。
待ち合わせに30分も遅れたわたし、そもそも待ち合わせ時間を指定したのはわたしなわけだが、1年ぶりに会うのに遅刻した。1年ぶりだったけど、でも16の1年ほぼ毎日のように会って、ある意味では家族よりも濃い関係だったかもしれないともだちとだから、一瞬で女子高生に戻ったみたいだった。馬鹿みたいにきゃっきゃできてうれしい。
なにしよう、ごめん、なーにも考えてない、2人が見たい映画でも見る?でも、一年ぶりに会ってサイコホラーみるのはどうなんだろうね、きゃっきゃ、ということでとりあえず新宿駅の東口に出た、暖かい都会。
じゃあ、ハンバーガーとフルーツどっちが食べたい?という極端な質問をしてフルーツで意見が一致したのでベリーハッピーなフルーツパーラー、タカノのパフェを食べることにした。春だからやっぱりいちごだもんねー。一年ぶりだからなにから聞いていいものか、近況なんてたくさんあるもんね、でもパフェは美味しいし天気は良くてタカノフルーツパーラーの窓からは青空に浮かぶすしざんまいの広告が綺麗にみえた。心地よい共感と驚きと懐かしさと甘酸っぱいいちごとよくわからないけどすべてがおいしい(おいしーい!)
そのあと映画館をぶらついて見たり、でもお天気だから散歩しようって散歩して、同じところをぐるぐる回っちゃって笑ったり絶対に何か買っちゃうから絶対寄らない!って言いながら紀伊国屋によったり、最終的には御苑をふらふらして、桜をたくさん見た。
この世にこんな幸せがあっていいのかな、観光客のおじさんたちが楽しそうに桜と自撮りしてる(かわいい)横で馬鹿みたいに自撮りした、かわいいじゃんわたしたち。小さい子供が笑いながら走り回っていて、小さい子供だから全然はやくなくて、お母さんの白いスニーカーが太陽に眩しくて、読書したり寝転がったりお弁当食べたり、シャボン玉を飛ばしたりして、いい夢の中で流れるいい音楽のような光景、これが正しい春なのかと思って、その日はずっと浮かれに浮かれていた。
久しぶりに会えてよかった、今度はわたしが会いに行かないとね、