らじうむの月

生んでみせる

せつなてきなおしゃべりver.2.0

わたしは刹那的なおしゃべりが結構好きで、かつ、刹那的なおしゃべりに巻き込まれがち。という話。



刹那的なおしゃべりというのは、もう二度と会うこともないような、これから関係性を発展させていく必要のない人とのその場だけの泡沫の会話、たとえば電車でたまたま隣になっただけの人との、旅先で出会った人との。
 


昔南仏に住んでいる知り合いのところに2週間あまりお世話になったことがあって、ちょっと生活に慣れて来たある日、その人の家から30分くらいの観光地でもある旧市街まで車を出してもらった。仕事に行くその人を見送った後、わたしはぶらぶらと花の市場を見て回ったり、サイクリングをしたりと1人で行動していた。ひと通り回った後に、地元の人らしき人たちが次々と買っていくアイスクリーム屋があったのでそれを購入して海沿いに出て、のんびりとわたしのような観光客や、そんな観光客のリクエストに気前よくこたえるトランペット吹きのおじさんをみていたら1人の女性に話しかけられた。

日本人ですか?と聞かれ、そうです、フランス語は話せないけど、と答えると、わたしは少し日本語が話せます、と返ってくる。夫の転勤で東京に5年ほどいて去年返って来たばかりです、そうですか、わたしは生まれも育ちも東京ですから、どこかで会っていたかもしれませんねということを話した。東京はそろそろ桜が綺麗な時期でしょうか、桜を見るのは本当に素敵な体験でした、というので、わたしはここに来た初日、車の窓から見たアーモンドの木についた花を桜かと思ってしまったという話をした。ボナールの美術館にアーモンドの花のいい絵があるはずです、というので必ず行って見ますといって別れた。後日ボナールの美術館に行くとたしかにアーモンドの花の絵が飾ってあった。




待合室、という類の場所でもなぜか人に声をかけられる。

眼科、そのときのわたし、女子高生17歳はコンタクトの処方箋を作るために、ショッピングモールの最上階(かつ、賑わっている西館ではないほう、東館の最上階)の眼科に赴き、午後のワイドショーが流れる待合室で順番を待っていた。広くはないその待合室で、重たい通学かばんを長椅子に下ろすと思いがけず大きな音が出てしまった。人3人分くらい隣におばあさん、70代くらいだろうかという女性がいたので、すみません、と一応声に出した。すみませんとかありがとうございますとか声に出すとピンと張りつめていたものが切れて、刹那的なおしゃべりの糸口になることはおおいにある、この時もそうだった。

学生さん?と聞かれたので嘘をつく理由もない、そうです。診察?はい、視力が悪くて、コンタクトレンズつけてるので、定期検診に。えらいわね、ちゃんと来て。いやあ、あんまり病院が好きではないので、サボりがちですけど、でも定期検診をうけないと作れないので、コンタクトは。そう、わたしもね、最近目の調子が悪くって、診てもらいにきたの。そうですか。 あのね、やっぱり悪いところがありませんでしたって言われると、ほっとするものでしょう。はあ。(この、はあ。は便利な言葉で、何かを話し始めた人の緩やかな流れを断ち切ることなく、なるほど、続けてください というニュアンスを出すことができる)
わたしもねえ、昔はそうだったのよねえ、病院なんてあんまり好きではなくて、できることなら行きたくなかったし。はあ。でもねえ、不思議なことにいつからか悪いところがありますって言われたくてくるようになってしまうのよ。はあ。年寄りがねえ、病院ばかり行くのはそうなのよきっと、悪くありませんと言われるよりね、悪いところがあるって言われた方が安心なのね。はあ。それはね、…というところで彼女が診察に呼ばれて、わたしたちは微笑みあって会釈して別れた。わたしの診察が終わる頃には彼女は帰っていたが、はたして安心して帰ることができたのかはわからない。