らじうむの月

生んでみせる

昔話、あるいは跡形もなく消えて欲しい地元

みなさんは兄弟の部屋の方角に向かって「呪」の文字をひたすら空で切ったことがありますか。わたしは当然あるのでこんなことを書いているわけですが。


訳あって小学五年生のときわたしはどんなこどもだったかしら、ということを考えていたらなかったことにされていたあれやこれやが思い出されてしまったので、供養のために書きます。



わたしの小学生生活後半は暗黒期で、中学1年生の頃も含めてわたしの記憶の中から普段はなかったことにされています。暗黒期と化した原因のほとんどは兄にありました。

兄はわたしの3歳上で、わたしが小学校4年生になった年に中学校に上がり、見事にグレました。兄にも色々あったのでしょうが、わたしには何も関係のないことなので割愛し、とりあえずお手本のようにグレました。この兄の部屋の方角に向かって「呪」と切り続けていたのがわたしの暗黒期、というわけです。




兄は染髪ピアス飲酒喫煙窓割り夜遊び補導呼び出し鬼ハン…(鬼ハンってわかりますか?自転車のハンドルをバイクみたいに捻じ曲げてサドルを低くして乗る行為、ところでかのアリストテレスは鬼ハンを「この世で最もダサい行為」と言っています)と、ありとあらゆるグレミッションをコンプリートしていきました。

兄がグレればグレるほど、わたしは肩身の狭い思いをしました。

地元というのは東京だろうが地方だろうがほんっと〜〜〜〜に狭い世界、同級生の兄同士が同い年だとか、スポーツのクラブチームの繋がりだとか。兄のことを知っている人も多ければ、兄とわたしが兄弟であることなんてほとんどの人がわかる状況でこんなことになればわたしがどう見られるかなんて考えるまでもないことなのです。



中でも最も「呪」感の強いエピソードとしてわたしがよく笑い話にしているのが、友達と放課後に公園で遊んでいた時の話で、話といってもふつうに遊んでいたら砂場で缶チューハイを飲んでいた(!)地元の女子中学生2人(!?)に絡まれ、「え、○○の妹じゃん。ウケる」「えー写真撮らせてよお、ウケるー」と恐喝されて写真を撮られたというだけなのですが。

今になれば女子中学生なんてガキもガキ(何にもウケねえしな)だわ〜〜と受け流せても、当時は死ぬほど怖い年上のお姉さんだったわけで。
(ちなみにその2人は蟻の行列に缶チューハイをかけて「虫ってアルコールかけると死ぬらしいよ」「ギャハハ〜」と遊んでいて当時は涙が出るほど怖かった。)



母は兄に手を焼き、わたしはあんまり手のかからない子として放置され(そのぶん自由にできたこともたくさんありますが)わたしは地元の中学校にだけは進学したくないという強い気持ちで中学受験の勉強をしていました。志望校はこんな思いをしないところならマジで心底どこでもいいということで、受験情報誌の東京・女子校の項目を適当に開いて最初に目に入った学校に決め、わたしは同じ地域出身の子が1人もいない学校に一発合格で入学しました。



わたしにとって地元は唾棄すべき場所です、夕方から制服を着た女子中学生が公園で缶チューハイを飲んで夜は至る所でイキッた不良中学生がたまったりタバコを吸ったり爆竹で遊んだりしているロクでもないところで、犬も歩けばカツアゲされ、くだらない理由で理不尽なリンチが起きる。シン・ゴジラで地元が破壊された時は感動すらありました。アハハ〜ついにわたしの願いが届いたか〜。

今は違うけどこの頃は、誰かがすべて破壊してくれればいいのにと本気で思いながら兄の持っている鋼の錬金術師のカバーを外した裏表紙にひたすら呪詛を書いたこともありました。(これはちょっと自分でも引いてる)


兄は今は一応真面目に働いています、見た目はチンピラ同然ですが。わたしも大人になったので家族として和やかな対応をしますし、もう「呪」の文字を切ることもないです。

ただ、ごくたまーーにこの頃の自分が可哀想になって仕方がなく、一時期は大学受験のストレスもあって家族と普通に話していただけなのに昔のことを思い出して号泣しだしたりするといった生活に支障が出る事案が多々発生していたので今は忘れることにしています。おわり。