らじうむの月

生んでみせる

砂漠の砂の中を泳げ、さもなくば眠れ。

日記にすらならない。メモ帳供養


☆ここから下全文自分語りだよ!



ここのところ自尊心や自己肯定感や、自己評価の低さについて考えている、お花見をする方がはるかに健康的で、楽しくて、素敵でサイコーなのに、わざわざ気持ちが塞ぐようなことばかり。桜を見ていた時は、美しくて、暖かくて、幸せで、すべてがなにもかも、枝毛の先から深爪の先まで許されているようだったのに、今は部屋の中で歪んだ靴べらのようなウンゲツィーファーになってるなんて意味がわからないでしょう?わたしはもしかして、気がついていなかっただけで真性のマゾヒストだったのかしら、それとも被害者ヅラでめそめそと泣いて悲劇のヒロインに浸るようなナルシストだったのか。




自己肯定感が低いという状態が続いているのあまり良くないという自覚はありつつ、わたしなんてみじんこ以下のクソ人間で周りの人が見ている自分はすべて固めに固めて頑張ってベニヤ板に絵の具を塗ってなんとか人の形らしきものを保っているだけの虚像に過ぎなくて、本当のわたしは靴の中に入り込んで人を少し不快にさせる小石を集めて粉々にしてつくった人間っぽい形の何かなんです、といっても馬鹿にされるのであまり言わないけどわりと本気でそう思っているなんて哀れですか。


自分から生まれる感情は基本的に醜い感情しかないし、それなら世の中の美しいものをみて美しいと思うことでどうにか人間でいられるのではないかと思って気が狂ったように美しい映画
、美しい人、美しい音楽、美しい絵、美しい服、美しい文章や美しい景色や美しい化粧品を探したり集めたり摂取したりする、自覚的に気が狂っている。


はじめて自分が自己評価の低い人間らしい(他人からそう評価されている)ということを認識したのは小学生の頃で、担任が母親と面談して「おたくのお子さんは自己評価が低すぎる傾向があります」と言い放ったことを知った時だったわけだけど、思い返すと低すぎるってひどいな、普通に低いでいいだろ、という訳のわからない怒り。世の中の多くの人がたいそうな自信家であるという謎はのはわたしから見た世界であったための、相対的な問題であったということがわかっただけで、特にわたしが変化することはありませんでしたのよ、終わり。



自己肯定感の低さについて過去わたしに説教をした奇特な人間は、「自己評価が低いということは、自分のことを好きでいてくれる友達や信頼してくれている人の価値観を疑うことになるし、結果、いつか大事な人を傷つけることになるのでは?」と火星人(会ったことないけど)も頷くレベルのめちゃくちゃ真っ当なことを言ってくれたが、そんなことは誰よりもわたしがよく分かっているし、わたしもそう言った類の「裏切り」(というのは語弊がありますが、わたしは今でも怒っているから)にあったことがあるから本当によくわかるんだけど、わかることとできることは全く別の問題である。(!)と言い返して話は終わった ロスト・イン・トランスレーション。マジでアノミーである。


飲みの席で自己肯定感の上げ方についてググったけどそんなのわかってるしそれが出来れば苦労してねえよということばかり書かれていて笑った。挫折。


星をつけたのはなんか可愛い感じになるかなーと思ったからなのですが、それはそうと最近すべてを破壊したいという気持ちが強く、春だなあと感じる。自己評価は低いがなんとなく世界を破壊したいという願望が持てる図々しさがあるのだからわたしは大丈夫なんです。